持続可能な開発なんて可能なのか?という疑問
こんにちは。
今日は最近授業で習ったことから考えたことを忘れないうちに書いておこうと思います。
それも、持続可能な開発って可能なのかな?て話。
「開発」ってなんなのか
Developmentの授業を受けていて根本的に問題になるのは、
What is Development?
という問い。
経済的に潤ったら幸せなのか?
ものに溢れた生活が全て幸せなのか?
でも、それを追い求めた結果として日本では個人の孤立化→自殺率の上昇だったり、貧富の格差が生まれてますよね…
途上国の近代化を推し進めることを盲目的に「開発」と信じることは間違っている、というのが授業の導入でした。
確かに、近代化がなかったらめちゃくちゃ不便じゃん!て思うかもですが、この生活を知る前だったらそんなこと思わなかったよな、と思います。
利潤を求めて企業が消費者のニーズを作り出し、便利さを知って、人間からもっともっと!て溢れ出る欲望が限りを知らない。
そのループのしわ寄せが社会的弱者や自然環境に向かい、
環境問題や貧富の格差を引き起こしていく。
近代化、資本主義が浸透する前でも幸せはあったはずだけど、今ではDevelopmentという言葉は、近代化と切っては切り離せない関係にある。
だからどうしても、長い年月かけて先進国と後進国の間にできたギャップは埋まりにくいだよと。
多分そんな感じでした!!!笑
私もこれ書きながら頭ごちゃごちゃです。
「開発」の代わりになるもの
Developmentという概念を近代化から切り離すために、新しい指標を生み出そうという取り組みも存在します。
今まで西洋中心的に進歩とはこういうことだ!!と考えていたのを、いろんな国や地域の固有の考えに立ち戻って考える。
先生がちらっと授業の中で紹介してくれた例の中には、多分日本の思想の一つであろう「KYOSEI (共生)」も紹介されてました。里山とかも共生の一部ですよね。
例①バヌアツ
Lectureの後のTutorialでは、一つの例としてバヌアツの新しい幸せ指標に関する動画を視聴しました。
資本主義化や近代化は偽物の発展であって、綺麗な水や食べ物、コミュニティでの関わりや暮らしを送れることを「富」とする考え。
じゃあこれを北側諸国が真似できるのか?
無理ですね。(即答)
資本主義との関わりが無いとは言えないけど、繋がりが薄いからこそ違う道を選べる。でも、一度日本に住んでみて、車や電車を使ったりコンビニでお菓子やご飯を買ったりしたら、もうそれが無い生活なんて考えられない。
例②:Degrowth
もう一個紹介されたのは、De-growthという考え方。
さらなる成長を追い求め続けるのをやめて、縮小していこうという考え。
確かに、「欲しかったものが手に入らない」という状況は生まれるかもしれないけれど、環境や持続可能な開発のためには仕方ない。
じゃあこれを途上国に向かって言えるのか?
「持続可能な開発のためには仕方がないから、国益追い求めないで生産量落としてください」なんて、虫の良すぎる話です。
じゃあバヌアツみたいな独自の幸せ基準を作ってもらうという意見も出ましたが、
それじゃ途上国は社会的にも政治的にも、経済的にも北側に対して弱者であり続ける。
結局どっちを取るか白か黒かで決められるもんじゃないんだろうなと思います。
北も南も発展したい、でも近代化以外の「発展」を考えたり、自分たちの生産を通して搾取される自然や弱者のことも考えて制限しないといけない。
あーーーーーややこい。
まとめたかったまとめ
「開発学」って、どうしても途上国が豊かになる方法を考える学問って考えがちでしたが、
先進国がいかに地球全体のことを考えて自分たちの生産だったりを変えられるかも切っては切り離せない問いだと思います。
地球温暖化は人間の活動とは何も関係ないという人もいますが、「あなたの住んでいる地域は5年後には水の中に沈みます」と言われたらもっと自分のことのように考えるようになるんじゃないかな。
いつか真面目なこともブログに書きたいなって思ってたのでやっと書けて嬉しいです。笑
イギリスに来る前に社会人の人と話した時、資本主義は本当にいいのか?という話をされました。でも、資本主義=正解みたいな凝り固まった頭の持ち主だった私は納得することができなかった…(・・;)
SOASという超左寄りな学校にいるからこそすんなり理解できたんだろうなと思います。
15th November 2019 Friday Student Unionにて
最近 初心を忘れて人に話しかけまくったり機会に参加したりができなくなってます。反省。