徒然SOAS交換留学Diary

2019年8月末〜2020年7月までのSOAS交換留学の内容と、旅行だとか生活だとかを共有する(予定の)ブログです!

アウシュビッツに行った話

私はBucket Listという映画を見てから自分の人生やりたいことリストを書き始めたわけだけれど、その中の22番目の項目に

アウシュビッツに行く

というものがあった。

 

人生で一度は必ず訪れたいと思っていたし、自分が訪れたときどんな感情を持つのか純粋に気になったから。

予習は大事だと聞いていたから、出来るだけアウシュビッツに関連することを調べて向かった(と言っても十分じゃないと思うけど)。

事前にYouTubeアウシュビッツ関連の動画を調べて体験談を見たり、2年前に見たユダヤ人虐殺が題材になった映画の振り返りをしてみたり、アウシュビッツの案内をしてくださっている中谷さんが執筆した本を道中の電車の中で読んだり。

その中には自分には到底信じられないことをしてしまった人間の負の歴史が詰まっていて、その現実に何回も泣いてしまった。

 

さて、実際にアウシュビッツに向かったら、自分はどう思うのだろう?やっぱり、「戦争は繰り返してはいけない」とかそういう感想を持つのだろうか。

そう思っていたけれど、実際に訪れてみると予想を良い意味で裏切られることになった。

だから、それを忘れないうちにここに書いておく。

 

 

長閑な天候

アウシュビッツを訪れる時、一番近い都市はクラクフだ。私と友人二人はクラクフに前日入りして、当日そこからバスで1時間半ほどかけて跡地に向かうことにしていた。

バスに乗ってうつらうつら。窓からは暖かく陽が差し込んできて、とても良い天気だったのを覚えている。

「今からアウシュビッツに行くんだ」という緊張感を持とうとしたけれど、難しかった。

そうこうしているうちに、眠っている間にアウシュビッツに到着。

私の中でアウシュビッツは、荒廃した、暗い雰囲気の、寒い、、、そんな土地だった。

でも、エントランス前はたくさんの樹が植わってたくさんの人がいて、とにかく自分のイメージとは全く違ったことがまず驚きだった。

 

13時からのツアーだったので、エントランスに向かうと中谷さん(今回ガイドしてくださった日本人の方)が待っていた。中谷さんの語り口調はツアー中一貫して重々しく話したりするわけでもなく、かえって冗談ぽく話したりするわけでもなく、ただ淡々としていた。過去に起こった事実をそのまま自分の伝えたいことも上乗せして話してくださる、そんな印象を受けた。

ツアーには全員で20人の日本人が参加していて、ご夫婦もいればいかにも大学生!な男の子がいたり、様々な人がいた。

 

ツアーが始まる

13時になって20人揃うと、中谷さんの声が離れていても聞こえるようにヘッドセットを借りて強制収容所に向かった。

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有名な強制収容所の入り口。「働けば自由になれる」と書いてあるけれど、実際にそれを信じる人は果たしていたのか。入り口はあるけれど出口はどこにもないことから全てを察して絶望する人もいたと聞いたことがある。

ツアーの内容を細かく書くことはしない。中谷さんの書いている本を読めばわかる内容も多いし、間違ったことを言ってしまったら嫌だし、何より自分の感想を多く書きたいと思っているので。

新訂増補版 アウシュヴィッツ博物館案内

新訂増補版 アウシュヴィッツ博物館案内

  • 作者:中谷 剛
  • 出版社/メーカー: 凱風社
  • 発売日: 2012/08/31
  • メディア: 単行本
 

 

恐ろしいほど実感が湧かない

ツアー中ずっと感じていたのが、恐ろしいほど「この歴史があった」実感が湧かないということ。

ここで何百万もの人が殺された、と聞いてガス室や持ち物、髪の毛を見ても、あまりにも現実から遮断されてかけ離れた存在に思えてしまって、恐ろしすぎて実感が湧かない。

そして、そう思えてしまう自分も嫌だった。

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ここでたくさんの「政治犯罪者」が殺された、別名「死の壁」。ナチスの侵略に抵抗したポーランドの人々がここで銃殺された。ポーランドやドイツからの花束が手向けられている。

泣くよりも大事なこと

でも、そんなふうにしてただ感情を動かされて終わり、にすべきではないと中谷さんの話から感じた。

感情的になるよりも、頭を冷やして、「なぜこれが起こってしまったのか」を考えること。

そして、「私たちも同じ歴史のレールに立っている」ことを感じること。

それが重要だと思った。

アウシュビッツはいきなり降ってきたものじゃない。そこに至るまでの道のりがあって、それは今の私たちにも十分起こりうることなんだ。と。

 

みんな同じ人間だった

私たちにも十分起こりうること。

それを思わせるのは、中谷さんの語りだ。

当時のドイツは学問的にも優れていたいわゆるエリート国家。そんな国が、どうしてこんなことを?と思えてしまう。

でも、第一次世界大戦が終わって多額の借金を押し付けられて、なんとかこの生活から脱したい。そんな感情が少しずつ迫害に向かっていってしまった。(ここらへんはもっと勉強したい。)

ユダヤ人嫌いだから虐めてやろう、殺してやろう」と思って起こったことじゃないと中谷さんは仰っていた。生活のために、未来のためにと、これが正しいと信じてしまったのかな。(もっと勉強したい。)

 

 

訪れて終わりじゃない

ここを訪れて、「こんなので終わりにしちゃいけない」と感じた。

行って、見て、そして次にすべきこと。それは、自分の人生に生かすことだ。省みることだ。

 

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ここに降り立ったとき、当時の人々はどんな気持ちで同じ景色を眺めたんだろう。

「傍観」、してませんか。

アウシュビッツにあるのは遺品だけではない。当時の社会的背景を説明する施設も存在する。そこを閲覧しているときに中谷さんに指摘され初めて気づいたこと、それは

「どこにもヒトラーの写真がない」

ということ。

これは、彼一人に責任を押し付けないようにするため。たくさんの傍観者、大衆迎合者がいたことを知らせるため。

この大虐殺は、ナチスヒトラーだけが悪い!だけで済まされる問題じゃない。

ドイツ国民の中にも、自分の意見を考えず、社会の流れに逆らわず、ただ強そうな意見や勢力に加担した人々が多くいた。彼らが傍観者と呼ばれる存在。

そんな「傍観者」はドイツだけにいたわけじゃない。

当時ユダヤ人はヨーロッパで人種的に疎まれる存在で、大虐殺が行われていても助けようとする国はいなかった。

この大虐殺には、その当時に生きていた人々みんなが関わっている。

 

ここで、「じゃあ選挙でナチスに反対票を入れてた人はどうなのよ?その人も悪いの??」と思う人もいるかもしれない。それについてはごめんなさい、私もうまい切り返しが思いつかない。ただ今感じることは、「民主主義に基づいて投票するだけで、私たちは自分の社会に対して十分責任を持てていることになるのか?」ということだ。

 

私たちは自分の意見を考えなければいけない、と中谷さんは言っていた。

たとえ多数派の意見と違っても、自分の意見を掲げないといけない。なぜなら、多数派の意見がいつでも正しいとは限らないからだ。

じゃあ自分の意見が間違っていたらどうするのか?そしたら、他の人と話し合って注意して貰えば良い。そうやって自分で決めたことの方がよっぽど、責任を持つことができる。

 

そんなこと、日常生活で思い当たるか?て思うかもしれない。

 

ある。

友達と一緒にいるとき、周りの意見に流されていないか?

自分より立場の偉い人、政治家、親のいうことを鵜呑みにしてないか?

「みんながこう言ってる」で決めてないか?

 

私たちは、自分の物差しを持って生きていかないといけない。

それを強く感じさせてくれる時間だった。

 

展示物を見るだけでなく、是非ガイドさんの話を聞きに、ポーランドを訪れてみてほしい。

感じることは人によっても異なるだろうから。

 

AM0:40 27th February 2020 Thursday 寮の自室にて